奥之院

 奥之院は、延宝4年(1676)に長沼新田が誕生する前から、この場所にあった。付近には何軒かの農家があり、駒形千軒と呼ばれていた。元和6年(1620)秋、徳川家光が元服間もなく、東金へ鷹狩りに行き、その途中、この付近で愛馬が傷つき、死んでしまった。地元の農民らがこの馬を供養したのが奥之院の始まりで、本尊は馬頭観音。境内には、農耕馬の供養や健康を祈願した碑が多く、馬と生活を共にしていた、明治、大正時代にワープできる。お堂は、元禄6年(1693)の建立当初の面影を残し、長沼の寺社の中で最も古い。「元観音」と呼ばれるのは、ここの馬頭観音が駒形観音堂に勧請・分霊されたからだ。
 いつの日からか、愛馬が家光の身代わりとなったと伝えられ、境内の小石を持ち帰り、痛むところに当て、よくなれば石を倍返しするという習わしが定着した。いまでも「身代わり観音」として、お年寄りの篤い信仰を集めている。毎月18日の観音様の日や、毎年2月18日の例祭には、長沼にゆかりのある人や近所の人たちが参拝に訪れ、いつも静かな奥之院がこの日だけは華やいだ空気に包まれる。 
 社の左側に、後ろ足を元気よく跳ね上げた、百数十枚の「陽刻」「陰刻」の石絵馬が目に入る。以前は境内に無造作に置かれていたが、平成7年(1995)に紛失を防ぐため土塀に埋め込まれた。江戸期の絵馬もあるが、多くが明治、大正期に奉納されたものだ。石絵馬が1カ所にこれだけあるのは珍しい。