駒形観音堂と大仏さま

 観音堂は、長沼本村の中心に位置する。本尊は奥之院の馬頭観音を勧請した美形の観音様で、普段は厨子に納められ、毎年2月18日の例祭の時だけその姿を見せる。境内には、弘法大師や天神様が祀られ、さらに寺子屋の師匠を偲んで建てた筆子塚、約20の子安様、関東では珍しい両墓制の詣り墓、力石まであり、江戸時代から村びとが集まる広場となっていた。
 観音堂は元禄6年(1693)に御成街道を通る旅人の安全や村人の安寧を願って、近在の人びとの協力を得て、鈍誉心愚大徳(心愚)が江戸の薬種商人・野田源内とともに建立したと伝えられている。
 駒形大仏は阿弥陀如来座像元禄16年(1703)に大巌寺(現・千葉市中央区)の十六代然譽上人によって、大仏への開眼の儀式が行われ、奥之院近くに安置された。心愚や野田源内らが浄財集めに奔走したといわれる。元文4年(1739)には、源内の主導で、街道沿いの観音堂に移座された。観音堂は、大仏の開眼式を機に、浄土宗・大巌寺の支配に入り、心愚が管理した。現在は、長沼町内会が守っている。 
 大仏の上半身には、浄財を寄進した念仏講中名が刻まれており、それは近隣だけでなく、船橋、佐倉、松戸など約60村に及んでいる。中には「東照権現」と刻印された徳川家康の名も確認できる。